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定規で漢字を書いていた父・・・3歳まで話せなかった兄・・・もしかして・・・。
このごろは娘のことを
グレーだなと思うことが
かなり少なくなってきました。
成長と経験とで
こだわりが
かなり緩和されてきたのでしょう。
で、そんな娘を見ていると、
もしかして私自身も、
問題のある子供だったんじゃないかと
思うように。
実は私、
小学校高学年になって
親に高校受験に向けたスパルタ塾に
ぶちこまれるまで、
学校でノートを
ほとんどとらず
ただ、教室の椅子に真面目に座っているだけの
子供だったのです。
国語はなぜか授業を聞いていないでも
できたのですが、
他教科は散々。
特に算数は高学年になっても
九九すら怪しく、
分数の通分なんて
チンプンカンプン(←これも死語ですね。)でした。
家で宿題をした
記憶もありません。
小学校の授業中は
脳内に授業内容が全く入ってこなくて、
ただただ椅子に真面目に座っていただけの私。
いったい、
毎日、何してたんだろう??
今、思うと
自分が不思議でならない。
親にも、
勉強しなさい!と無理やり家の机の椅子に
座らされたことがありましたが、
それでも、ノートをひろげただけで
違うことを考えていた私(-_-;)
そして今思えば、私の父。
いつも定規を使って漢字を書いていたんです。
自分の名前を書くのにも
いちいち定規を使います。
どこで使うのかというと、
漢字の横棒すべてです。
漢字で横の線を書くときに、
何度も何度も何度も何度~も
定規をあてて
小さな線をたくさん書いてたんです(-_-;)
だから、
カクカクした不自然な漢字になっていました。
そんな父は50代で亡くなりましたが、
その癖は死ぬまで続いたようです。
今思うと、
漢字を書くときに備えて
父は、いつも定規を持ち歩いてたって
ことですよね(@_@;)
今思うと、
父、おかしい人じゃないか~!!
しかも、
そんな父は●●省に勤務していました・・・(-_-;)
なんか、私の家系の遺伝で、
娘が風変わりな感じになったのかなと思ったり。
私が娘の時代に生まれていたら、
間違いなく、通級通いになっていただろうと
予想され(^_^;)ます。
私の兄も変わっていて、
3歳まで言葉を発せず。
話すことより読み書きを先に覚えたそうです。
3歳までしゃべらないので
自閉症の疑いがあると診断されていたらしい。
そんな私の兄は、
小学校の卒業アルバムに
「●●会社」(←一流企業です)に入りたいと書き、
国立の大学院卒業後に
本当に、そこに就職してしまった
思い込みの激しい人(^_^;)です。